翌朝、政宗が起きるとそこに小次郎の姿はなかった。
身体に残る気だるさだけが、昨夜の情事を証明していた。
重い身体を揺り動かし、部屋を出た。
長い廊下を進んでいく。
ここは母である義姫と弟小次郎が普段住んでいる所なので、周囲の家臣たちはあまり面識のない者ばかりであった。
ふと、疑念が浮かぶ。
【この屋敷の者全員が、果たして自分の味方だろうか?】
もしかしたら曲者が紛れ込んでいるかもしれない。
それに政宗の母は、政宗の事を疎ましく思っていた。
政宗はちょうど小次郎が生まれた頃に天然痘にかかり、醜くなってしまった容姿の事も重なり義姫は政宗を避けるようになったのだ。
どんどん暗い性格になっていく政宗を救ったのは片倉小十郎だった。
小十郎は政宗を薬師の元へ連れて行くと、小刀で政宗の飛び出した右目を抉り取った。
失明していたとは言え、血も神経も通っている目玉を抉る痛みは半端なものではなかった。
痛みにのた打ち回り、さらに高熱を出して死に掛けたが、政宗は生還。
それからは元の活発な少年へと戻った。
しかし、母の寵愛は小次郎に向けられたままだった。
十分な母の愛を身に感じる事のないまま、大人になった政宗。
母に恨みはなかった。確かに自分は醜かったから。
ましてや何の罪もない弟を恨む事など、考えた事もなかった。
むしろ、母の愛を一身に受けている弟を愛する事で、政宗の心はわずかに満たされていた。
弟の身から零れた母の愛が、自分に降りかかって来るような気がしたから。
悶々と考え、なおかつ過去を思い出しているうちに大広間に到着してしまった。
襖の前で、政宗は頭を掻きながら悪い疑念を頭から追い出した。
(・・・考えすぎだよな。小次郎もいるし、大丈夫だろう・・・)
実は今回、右目でもある腹心の部下・小十郎は政宗の城の警備に就いているため、同行していなかった。
(何も起こる訳がない。ここは伊達領で母上と小次郎の住まいだ)
政宗はゆっくりと襖を開けた。
そこに、小次郎の姿はなかった。
母とその侍女が朝餉の支度をしていた。
「・・・母上、小次郎は」
「小次郎ならもうすぐ起きてくる頃でしょう」
政宗と目を合わせる事もなく、義姫が言った。
「・・・さ、もう準備はできていますから、温かいうちにお食べなさい」
「あぁ」
政宗は席に着くと、ふと妙な感覚に襲われた。
母に手料理を振舞われるのは初めてだったのだ。
いつも政宗の食事の用意をするのは政宗付きの侍女で、物心ついた時から母は何もしてはくれなかったのに。
大きな戦を前に、何か母の心境が変わったのかと思いながら料理に手をつけた。
「―――ッ!!!」
食器が床に落ちる音が部屋に響いた。
急に倒れこみ、うずくまる政宗に家臣たちが不安げに歩み寄ってくる。
「政宗様!!政宗様、いかがなさいました!?」「水を持って来い!!早にだ!!」「お気を確かに、政宗様!!」
吐き気がこみ上げてきて嘔吐するも、一向に苦しさは取れなかった。
やけつくような胸の痛み、止まらない吐き気、激しい頭痛、遠のく意識―・・・。
(毒を盛られたか・・・せっかくの母上の手料理に・・・一体誰が・・・)
「政宗様、お水にござります
侍女の持ってきた水を受け取ろうと、何とか顔を上げた、その時。
義姫がうっすらと笑みを浮かべているのが見えた。
口元が微かに動いている。
『し ね ま さ む ね』
あまりのショックに、政宗の思考は停止し苦痛を感じていた身体の感覚がなくなった。
侍女の手を跳ね除け、家臣たちの横をすり抜けて床の間に置いてある小降りの刀を手にした。
鞘を抜き捨て義姫に向かって構える。
家臣や侍女は悲鳴をあげ、政宗の心を静めようと口々になだめている。
毒でフラフラになりながらも、政宗はしっかりと狙いを定めて母に斬りかかった。
ザシュッ
返り血が、襖の白梅を紅梅にした。
目の前にいた人物が、ゆっくりと倒れていくのが見えた。
切り裂かれた着物を、真っ赤な血で紅く染めた―――・・・小次郎を。
政宗が義姫に切りかかるほんの数秒前に、家臣たちの悲鳴を聞いた小次郎が駆けつけたのだ。
義姫をかばい政宗の前に進み出た小次郎だったが、毒で感覚の鈍っている政宗は、小次郎が視界に入った事に気づくのが遅れた。
「小次郎ォーーーーー!!!!」
目の前で起こった現実を理解できず、政宗の頭は混乱し、毒の作用も手伝って政宗は意識を失った。
政宗が目を覚ましたのは、それから三日後の事だった。
「政宗様!気が付かれましたか!」
「小十郎・・・?何でここに?」
傍らにいたのは、自分の城の警護を命じたはずの右目。
「恐れながら、政宗様に大事ありと聞きまして早馬を飛ばしました。城の警護は成実に任せてありますのでご安心を」
「OK.・・・すまねぇな」
政宗の無事にほっとした顔を見せたのも束の間、小十郎は苦々しい顔をしてこう言った。
「小次郎様は・・・亡くなられました」
押し黙る政宗。
「お亡くなりになる直前、家臣が小次郎様から政宗様に言伝を預かったとの事です」
『兄上、ご自分を責めないで下され。これは小次郎の責にございます。
母上のお心が読めなかった事、申し訳なく思っております。
昨日の夜にお願い致しました小次郎の我が侭、どうかお聞きくださいませ』
「・・・と、小次郎様は仰って、息をお引取りになられたと聞きました」
政宗は黙って聞いていた。
「何を頼まれたのですか?政宗様」
横になっていた政宗は起き上がり、自分に言い聞かせるように頭の中を整理しながらぽつりぽつりと話し始めた。
「小次郎は、俺に"伊達家を頼む"と・・・守ってくれと、そう、言っていた・・・。
家臣、それから母上、そして俺を・・・愛していると・・・」
小十郎は目からこみ上げるものを隠せなかった。
「泣いているのか、小十郎」
あわてて小十郎は涙をぬぐい、政宗の顔を見た。
「申し訳ございま・・・政宗様!」
「泣きたいのはこっちだっての」
小十郎の前でも決して泣く事のなかった政宗の頬には、涙が一滴伝っていた。
心から愛した弟をこの手で殺め、
その弟たっての願いで自分を殺そうとした母親を咎める事もできず、
かといって自殺する事もできない、
戦で負けて討ち死にする事すら叶わない、
生きるしか、生きていくしかない。
愛してはいけない者を愛した罰なのか。
弟が死してなお、兄に生きてほしいと願った弟の祈りが届いたのか。
それは誰にもわからない。
「・・・さて、行くか。こんなにも"負けられねぇ"と思った戦は初めてだ」
「行きましょう政宗様!この小十郎がついております!」「筆頭!行きましょう!」
「OK!行くぞてめぇら、遅れねぇでついてこいよ!Let's party!!!!」
弟の願いどおり、その後政宗は戦に勝ち抜き数々の武功をあげる事となる。
終